「春分の日」と「秋分の日」お彼岸との関係とは?なぜ「おはぎ」「ぼた餅」をお供えするの?

よく耳にするお彼岸と(春分の日秋分の日)の繋がりや、この日は何日なのか?、なぜ(おはぎ)をそなえるのか?そもそもいつごろからあったのか?気になったことはありませんか?お盆秋分の日ってひと月くらいしかあいていませんよね、 なぜお彼岸にお墓参りをするようになったのでしょう?そのような疑問について考えて行きます。

「春分」と「秋分」

「国民の祝日」のうち「春分の日」と「秋分の日」だけ具体的な日付が決まっていません、前年2月の官報に暦要項で掲載され、(春分の日は、一般的に3月20日から3月21日)(秋分の日は、9月22日から9月23日)のどちらかになる事が多いそうです。

「春分」と「秋分」は、昼と夜の長さが、ほぼ同じになる日のことです。

ですが実際には昼の方が若干長いです。

宮中では、歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る皇霊祭という儀式で、宮中祭祀のひとつ。

年に2回「春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)」と「秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)」に行われていて、元々この日はお彼岸でした。

はじまり

お彼岸は、「奈良時代:延暦25年(806年)」から日本に仏教行事として行われるようになりました。

どんな日だった?

お彼岸は、「春分」と「秋分」の日を中日に前後3日間がお彼岸になり、最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」などと呼びます。

現在では、

春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ。

秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。

ことを趣旨としています。 が、「春分の日」も「秋分の日」も元々は先祖を祭る日であったことが分かります。

彼岸は、サンスクリットの(パーラム)、仏教用語で「波羅蜜」(パーラミター)のPāram(彼岸に)とitā(到った)の意訳「至彼岸」になったと言われています。

春分と秋分は、太陽が真東から真西に沈みます、浄土教では、西方に(苦しみの無い仏のすむ世界)「極楽浄土」があると考えられ、彼岸に日の沈む遥か彼方に祈りを捧げた事が彼岸の始まりで、それがご先祖様の供養へと変わっていったそうです。

彼岸にご先祖様に祈るのは日本独自の風習で、自然やご先祖様を大切にする文化と結びついた風習です。

(ぼたもち)と(おはぎ)

小豆の赤色には魔除けの効果があると信じられていて、ご先祖様の供養にお供えされるようになりました。

彼岸には、「ぼたもち」または「おはぎ」をお供えします。

(ぼたもち)と(おはぎ)は、彼岸の頃に咲く牡丹(春)と萩(秋)に由来すると言われています。

「ぼたもち」は牡丹の花の咲く春のお彼岸

「おはぎ」は萩の花の咲く秋。のお彼岸

小豆は9月~10月頃の秋に収穫されます。

なので、

収穫してから間もない秋の彼岸には、(粒あん)の「おはぎ」

春は収穫してから時間がたって小豆が硬くなっているので(こし餡)の「ぼたもち」

といいます。

まとめ

彼岸とは春分日と秋分日の前後3日の7日間(彼岸の入り)(お中日)(彼岸の明け)の間に「六波羅蜜」「布施(ふせ:他人に対し広い心を持つ事) 持戒(じかい:悪を成さない様、自分自身を戒める事) 忍辱(にんにく:辱に耐え自分を見失わない事) 精進(しょうじん) 禅定(ぜんじょう:自分自身を見つめ治す) 智慧(ちえ)」の六つの修行を1日に1つずつ修めて行く日だそうです。

元々は仏門の修行の為の行事です、この時期は仕事の都合がつかず墓参りに行けない人も多いと思います、お墓参りできなく ても家でご先祖様にお祈りすればよいのではないでしょうか。

Posted by kazuhiro